梅雨だから,ボツワナの話をしよう

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↑梅雨のシンボル、紫陽花。毎朝自宅の3軒隣のお宅の紫陽花を撮影しています。

はっきりしない梅雨特有の日々が続きますが、ごきげんいかが? 写真は紫陽花を載せますが、こういうときには、からっと晴れたアフリカの話でも,したろやないかいと、以前書いたコラムを載せます。

この国は「没穴」、おっと間違い、ボツワナです。青空が高く感じ、吹いてくる風も爽快。アフリカのサファリツアーといえば東アフリカのケニアやタンザニアが有名ですが、ボツワナはそれ以上に素晴らしいところでした。ゾウやカバをはじめとして動物が多いんです。チョベ国立公園やリニアンティ動物保護区、オカバンゴ湿地帯など、面白いところがいっぱいありまっせ。アウトドアー好きにはお勧めの国です。また行きたい♪


「ゾウやカバが遊びに来る豪華リゾート」

10人乗りのセスナ機はぐっと高度を下げた。ブッシュの中に延びる1本の白い滑走路が眼下に見える。パイロットの肩越しに黒ゴマのような集団が。それは滑走路のそばで草を食むゾウの群れだった。これぞアフリカや! この「空港」はボツワナ北西に広がるリニヤンティ動物保護区の「玄関口」だった。

アフリカの南部に位置するボツワナは、南アフリカに隣接する内陸国で、国土の南半分はカラハリ砂漠が占めているが、北部にはゾウで有名なチョベ国立公園や巨大なオカバンゴ湿地帯がある。

ゾウと同居する空港から、リニヤンティ動物保護区中にあるキングス・プールロッジに向かった。リゾートはワイルドで豪華な造り。なんでリゾートに「キング」と付くかというと、スウェーデンの国王がここをエライ気に入ったからだそうな。チェックインしたときに「夜8時以降、リゾート内を歩くときには必ずフロントに電話すること」と注意された。

暗くなると近隣に生息するゾウ、カバなどの野生動物がリゾート内に遊びに来るから危険だという。「電話を聞いたら、すぐスタッフが銃を持ってお部屋に向かいガードしますから」。確かに僕が泊まる部屋の前には、ゾウやカバの大きなウンチが転がっていた。

リゾートの目の前がリニヤンティ川の支流がせき止められた細長い沼で、部屋から沼を見下ろす感じだ。ここに20頭のカバが生息しているという。部屋に居ながらにしてカバを観察できるのだ。川向こうには隣国ナンビアのサバンナが広がっている。

朝3時半、ブウ、ブイブイ、グウグウというカバの鳴き声に起こされた。まるでブタそっくりで、草をかじっている音も聞こえる。耳を澄ますと4頭ぐらいが近くにいるようだ。と、部屋のすぐ下の樹木をかきわけながら上陸してくる音がした。

壁1枚向こうに野生のカバが。僕は大自然のなかでカバと同じ場所、同じ時間を共有していると感動した。テラスに出ると、ナンビアの草原に下弦の月。実に清々しい静けさだ。吹いてくる風に生き物の息づかいと獣の匂いを感じた。翌朝、僕の部屋の前にはカバが生産した大量のウンチが転がっていた。

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ルイジアナ州のケイジャンたち

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↑ラファイエットの、ケイジャン・カルチャーセンター。ケイジャン語の辞書が並べられていた。


今日の夕刊紙を読むと、あのボンクラ首相がまたやってくれたそうです。都議選の応援で「必勝を期して」というところを「惜敗を期して」と演説したという。

「必勝」と「惜敗」。普通の脳みそがある人なら、こんな間違いはないだろうね。候補者も支援者も顔が引きつった様子が目に浮かぶようです。漢字が読めないどころか、一般的な日本語が浮かばないのが我が馬鹿首相でありまする。「自分のことを少々アホ]と自虐ネタを言っているらしいが、「アホ」はまだましじゃぁ。国民感情から言うと「どえらいアホ」の二乗である。恥ずかしい。哀しい。早く、辞めてくれぃ。

・・・と、日本を憂いながら、マクラの話とは全然関係ないけど、以下関西のシニア雑誌「大人組」に連載しているコラムを転載します。アメリカのルイジアナ州に住むフランス系のケイジャンの人たちの話なんです。アメリカは広い。いろんな人たちが住んでいるなあと、行くたびに実感しています。

ルイジアナ州を代表する町といえばニューオリンズだ。その「ジャズ発祥の町」の西部からメキシコ湾に沿い、テキサス州との州境にかけて、古いフランス語を話すカナダ系フランス人が住んでいる。そのエリアは「ケイジャン・カントリー」と呼ばれている。

その名前の由来が興味深い。カナダ東海岸のノバスコシア半島周辺はアーカディアと呼ばれていた。17世紀、フランス南西部から多くのフランス人がこの植民地に移住し「アーカディアン」と呼ばれた。18世紀に入ると、イギリスがこの地方の支配力を強め、人々にフランス語を捨て、イギリス国王に忠誠を宣言しろと強制してきた。
 
Mimg_9351 ←ケイジャンの末裔の女性、ルックスはフランス顔ですね

これを拒んだアーカディアンは土地を奪われ、ある者はカリブ海へと向かい、またある者はルイジアナ州へと新天地を求めて逃げた。後にアーカディアンは訛って「ケイジャン」と呼ばれるようになった。

彼らはルイジアナにカトリック、音楽、料理、言語など新しい文化をもたらした。特に料理への貢献度が高く、南西フランスの伝統的な家庭料理を、シーフードにチキンや野菜、ハーブやチリペーパーなどで味付けし、ケイジャン料理として作り上げた。代表的なものは炊き込みご飯の「ジャンバラヤ」、オクラを使ったブイヤベースの「ガンボ」などがある。
 
音楽の伝統も引き継いでいった。ケイジャン音楽はアコーディオンとフィドル(バイオリン)を基本に、ラブボード(ブリキの洗濯板をスプーンで擦る楽器)で構成された単純明快で陽気なダンス音楽だ。
 
ケイジャンたちの子孫が多く住むラファイエットには「フレンチ・ルイジアナの首都」というキャッチフレーズがあり、アーカディアンの文化センターもある。17世紀にフランスから最初の移民がアメリカに到着して以来、英仏の争いに翻弄された少数民族の歴史が展示されている。彼らを支えていたのはカトリックと音楽だった。


ここで駄句を・・・

六月の路上に魂のジャズ漂流す
ビール瓶六月の暑さを封印す
硬質の光の中に墓のオブジェ
六月のジャズ「欲望」から「墓場」に流る
汗ばんだ黒肌にラム三杯ギフトしよう
ジャズの町暗いホールで植草甚一す
黒肌のラッパの音は葬送歌

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暑くなりましたね、近況など

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↑アンディ・ウォーホールが描くM氏(ほんまかいな?)

長い間、ブログの更新しないでいると、アメリカから熊野から催促が来ました。すんません。
と言いながら、なんか書かかないかん。何にしょうかいの? とりあえず近況を列記します。

*最近、文化人類学を勉強しています。
レヴィ・ストロースの本を再読中。あの構造論が数学からのヒントだったというのを初めて知りました。

*哲学の本を読まなとあかんと、ここんとこマルクスの「資本論」をゆっくりと読んでいます。この第1章「商品」は「商品の呪物的性格とその秘密」というので終わっています。この小見出しの「商品の呪物的性格」とは、商品の裏にはフェチシズムがあるということなんやないかい。「あれは嫌いやけど、これが好きという」考えですけど、なんで僕たちはモノにグッと来るものと、来ないものがあるのだろう? マルクスはこの辺のこと、どう考えていたのかいね? これから勉強します。

*4月末から、NHK学園国立校で人妻熟女を相手に講師をしています。みんなやる気満々で、講義していて楽しいです。生徒さんはみんなセンスがいい。

*俳句をひねっています。また有名な俳人の句集も読んでいます。好きな句を書きましょう。

「ちるさくら海あおければ海へちる」(高屋窓秋)
「しんしんと肺碧きまで海の旅」(篠原鳳作)
「『月光旅館』/開けても開けてもドアがある」(高柳重信)

「未来より滝を吹き割る風来る」(夏石番矢)
「半身は夢半身は雪の中」(宇多喜代子)
「木の香潮の香新宮の夏衰えず」(茨木和生)

「ピストルがプールの硬き面に響く」(山口誓子)
「朝湯こんこんあふるるまんなかのわたくし」(種田山頭火)
「立ちどまると水音のする方へ道」(種田山頭火)

「夏の河赤き鉄鎖のはし浸る」(山口誓子)
「草の穂の一匹の蟻にも大空」(尾崎方哉)
「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」(寺山修司)

「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」(能村登四郎)
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていった」(安西冬衛)
「蝶落ちて大音響の結氷期」(高沢赤黄男)

「滝落ちて群青世界とどろけり」(水原秋桜子)
「風たちぬ爽けき街を父の逝く」(角川春樹)
「渡し場に/しゃがむ女の/淋しき」(西脇順三郎)

「水枕ガバリと寒い海がある」(西東三鬼)
「戦争が廊下の奥に立っていた」(渡辺白泉)
「おそるべき君等の乳房夏来る」(西東三鬼)

「椰子の落ちて位置決まる午後」(浅井慎平)
「数式のオブジェノートに風光る」(浅井慎平)
「宿帳の余白の紙魚(しみ)や冬の旅」(浅井慎平)

・・・なんて名句は何回読んでもいいね。一編の短編小説の趣。
4句目の夏石さん、5句目の宇多さん、6句目の茨木さんは作家の中上健次さんつながりで、会ったことがあります。最後の句の写真家浅井師匠とは、数え切れないぐらい飲んでいます。

*西オーストラリア州における、日本人のダイバー移民について調べています。ここを舞台にした活劇小説を書きたい。

*スカイプをやり始め、1週間に何回もコロラド州にいる写真家Kさん、ミズーリ州で大活躍のカントリー&ウエスタンのミュージシャンI氏と会話を楽しんでいます。なんせ何時間しゃべろうとタダというのがいいですわ。海外に友人がいる人は、ぜひ利用するといいでっせ。

*ここんとこ、朝日新聞の夕刊1面で大逆事件についての連載をしています。大逆事件でわが故郷の人間が何人も処刑されています。新聞を毎日見とったら、知り合いが写真付で何人も登場しました。大逆事件についてもっと知らないかんと思った次第です。

*先週の土曜日、町田のブックオフで呼吸法の本(新潮選書)を買いました。表紙をめくると、著者のサインが。本を贈った人の名前を見ると、僕の知り合いのアメリカ人(合気道の達人)じゃあーりませんか。もう20年近く会っていませんけど。彼は東京に長く住み、日本語ペラペラ。コンサルティングや翻訳をしています。推測ですが、家人が本屋に売ったのでしょうね。ブックオフで出会うのもなんかの縁。彼に近々インタビューをしようと思っていたのでびっくりした次第です。これこそシンクロにティでしょうね。

*今月末に、トルコに行きます。国技であるオイルレスリングの全国大会を取材します。

ここで駄句をふたつ、

    草の海イルカ飛ぶ日や夏木立
    遠花火点滴の母緑の故郷を語る

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いい日、晩春、川流れ

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↑庭から眺める都幾川(ときかわ)の風景

先日、仲間のSカメラマンから「東上線の森林公園の郊外に、案内したいところがあるんだけどさ.,食事するところなんだけど、ちょっとほかとは違う雰囲気で・・・」という電話をもらった。「女将さんもユニークで、話が面白く芸術家肌の人で・・・」

彼とはアラビア半島のオマーンへ4度、カナダ、南イタリア、熊野古道、佐渡、高知よさこい祭りを一緒に取材した仲間だ。久しぶりの再会で、同行はオマーン政府観光局のO女史。僕は地元の食材を使った小料理屋か蕎麦屋かと推測した。

Sカメラによると、彼のお嬢さんが小学生のときに担任をしてくれた先生が引退して、会員制の小料理屋をやっているという。「いやあ、ほんとうに心が落ち着く場所なんだよね。絶対気に入ると思うよ」

案内されて、まずその風景のすばらしさに感動した。目の前に林があり鶯が鳴き、ひよどりが空中ダイブをしているのが見える。そして右奥に都幾川の流れ。遠くに秩父の山並みが望める。ずっと見ていても飽きない風景だ。鳥の鳴き声以外何も聞こえない。

鶯の真っ只中を川流れ
川に影目覚める大人の遠足です
風光るご飯も光り埼玉産
     春の鳥空中ダイブ茶柱も
ひよどりの垂直降下晴舞台
都幾川よ今こそ光れ巣立鳥

「やって来る鳥の数は40種ですね。ウグイス、オールリ、カワセミ、シラサギ、ウソ、コジュケイ、キジなど見ていて飽きませんよ。川原に狐が水を飲みに来るのも見たことがあります」と語るのは元教員の女将のあけみさん。沖縄の血が入っている方で、エキゾチックな美人だ。教師時代の手塚治虫さんとの出会いなど、面白すぎる話はあるが今回はカット。いただいた名刺を見ると「着物のリメイク、紙芝居おばさん」の肩書きが。

ここは、もともとある企業家の別荘だったところ。自分の空間がほしいと探していたところ、まったく偶然にこの場所を見つけたという。そこを教員夫婦が購入し、ごく親しい人だけに食事を提供することを始めた。この写真のすぐ後ろに、別棟の2階建ての部屋があり、ここは浅井長政ゆかりの建物を移築したという。すぐ近くの畑で採れたオーガーニック素材を中心に心のこもった、シンプルな料理に舌鼓。おいしい料理をいただき、おもしろい話に、時間を忘れた1日だった。

女将さんはガンで3ヶ月の余命といわれていたそうだが、ここに来て完治し、医者が驚いたそうだ。風景は人を治療するということを実感した。

僕は、この風景を見て、老子の次の言葉を思い出した。
 
 寒さは熱狂すれば直る
 熱狂に勝つのは静けさなのさ
 実に清清しい静けさだけが
 この世の狂いを直すものだよ  (訳・加島祥造)

酒に酔い、話に酔い、人に酔う。
Life is good.
 

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トルコで一番有名な日本人

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↑イスタンブール、ガラタ橋の下にあるシーフードレストランで。

 関西で発行されているシニア世代向けのビジュアル誌「大人組」の5月号に書いた、トルコの話を転載します。この雑誌の僕のコラムタイトルは「深旅遠望」といい、もう4年間旅の「うんちく話」を載せています。こんな日本人もいたということ、僕の故郷熊野とトルコにはこんな深い国際交流があったことを知ってもらいたい。

「トルコで一番有名な日本人」

 トルコは僕の好きな国のひとつ。先ごろ出版された「明治の快男児トルコへ跳ぶ」(現代書館)を読んで、トルコがなぜ親日国なのかがよくわかった。日本とトルコとの交流のために一肌脱いだ山田寅次郎の熱い物語である。

 明治23年、トルコの軍艦エルトゥールル号は明治天皇に謁見し帰途についた。だが日本は台風シーズン。エル号は熊野灘の串本沖で台風に遭い沈没。そのときに大島の人たちは村を挙げて懸命に救助活動をしたが、乗務員609名のうち助けられたのはわずか69人だった。この話は、現在でも多くのトルコ人が知っている。詳細は僕の
このブログの、いつだったかな(笑い)に書いていますので、見てね。

 ほいで、山田寅次郎(群馬県出身)だ。24歳の寅次郎は沈没事件に強いショックを受けた。トルコから皇帝の親書を持って我が国に11ヵ月もかけてきたのに、660名もが遭難死したということはあまりに痛ましすぎると、彼は新聞各社に働きかけ、遭難した家族に送る義捐金を集める運動を始めた。

その結果、現在のお金で3000万円相当のお金が集まり、寅次郎は事件の2年後に義捐金を持ってトルコへと向かった。この事件をもってトルコと日本の交流が始まり、来年は120周記念の年となる。

 寅次郎は以来約20年間トルコに滞在、イスタンブールの日本商店のマネージャーとなり、日本・トルコ交流の先駆者となった。トルコを訪れる華族や政治家の通訳を務めた。トルコ建国の父ケマル・アタチュルクに日本語を教えたという。トルコで最も有名な日本人だ。

また、寅次郎は日露戦争時、ボスボラス海峡を通過するロシアの軍艦を偵察し日本大使館に伝えた。日本が大国ロシアに勝利できた裏には、寅次郎の「目」の活躍があったといえるだろう。

 寅次郎は慰霊碑の建立にも力を注いだ。日本にトルコ大使が赴任すると、串本大島の慰霊碑に花を捧げるのが恒例となっている。今年、大島にはトルコのダイバーが来て、エル号の遺品の採集を行った。大きな料理用鍋など3500点の遺品を収拾した。この4月1日から来年1月末まで、串本の海中公園水族館で展示している。

トルコの地中海沿岸の町メルスィンと串本は姉妹都市。町には「クシモト」という名の通りがあるそうだ。今度確認に行きたい♪

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丸木舟完成

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3月27日の朝日新聞夕刊の記事「丸木舟完成 来月出発へ 新グレートジャニー」を読んで、僕は新たな感動にとらわれた。上の写真の記事だ(クリックすれば写真が大きくなり、記事が読めます)

というのは、冒険家であり武蔵野美術大学教授である関野吉晴さんが、インドネシアのスラウェシ島からフィリピン経由で、日本人が移動した南方ルートを実証する旅に出るという話だ。

関野氏は、これまでに人類の移動を逆に辿り、南米の一番南から旅を開始しアフリカまで人力で行ったすごい人だ。自転車、カヌー、馬などを利用し、文明の利器を使わず世界一周をした冒険家である。確かTBSだと思うけど、彼の足跡を追ったドキュメンタリー番組「グレート・ジャーニー」を見た人がたくさんいるに違いない。

で、僕との係わりだけど、昨年初夏、「伊勢・熊野路を歩く」(発行ウェッジ)の取材で故郷の熊野に帰った。池袋からの深夜長距離バスを利用した。新宮駅に着きバスを降りたら関野さんがバスのそばで荷物を受け取っていた。

あ、関野さんだと思った。僕は面識はないけれど、顔は知っていた。なんで熊野に来ているのかな。同じバスに乗っているのを知っていたら話したかったなと思った。

というのは、関野さんの「グレートジャーニー」に同行したS君が僕の友人だからだ。S君は僕以上に世界各地を回り、現在「地平線会議」の世話役で、また世界で2人しかいない「カーニバル評論家」(本人談)。関野さんのテレビの番組で、S君がパナマあたりでカヌーを漕いでいるのを見ていたし、彼と会ったときに各地で先乗りとして取材許可などを政府機関などに交渉する苦労話を聞いていたからだ。

僕の熊野取材が終わり、東京行きの深夜バスを待っていたら、関野さんがリュックを担いで来るじゃ、あーりませんか。僕はすぐに話しかけた。S君の友人で、大兄の話はよく伺っていますと。

僕は深夜バスの彼の隣に席を替えてもらって、話を聞いた。
熊野に来た理由は「新宮にいい鍛冶屋がいると紹介してもらい、その人にマサカリを作ってもらい、それを取りに来たんですよ。今度の航海で使う舟は全部手造りなんです」。その鍛冶屋とは新宮市相筋(あいすじ)の大川鍛冶屋だった。僕が子どもの頃、親父に連れて行ってもらった鍛冶屋だ。

話は盛り上がり朝方までしゃべった。
関野さんが出航するインドネシアのスラウェシに、僕も1ヵ月後に行くことになるという偶然も重なった。僕の場合は有名なトラジャコーヒーの取材だったんだけどね。

南米最南端のフェゴ島のインディの生き残りの人の話、パナマでカヌーによる国境越え、ベーリング海峡をアラスカからロシアへカヌーでの航海、アマゾン川奥地の先住民の話など興味は尽きることがなかった。

「今回の旅では、船の材料や道具はすべて自然の中から集めました。古来の人間と同じ方法です。丸木舟を造るマサカリの材料の砂鉄も千葉の海岸で、学生と一緒に集めたんですよ。それを大川鍛冶屋さんに渡して、マサカリを作ってもらったんです。いい仕上がりで大変満足しています」。島の長老たちに舟の作り方を習い、カヌー型の舟が完成した。

関野さんは学生たちと一緒に4月にスラウェシ島を出発する。台湾やマレーシアを通り、2年をかけて航海する。
その丸木舟を作ったマサカリは新宮産。新宮人としては嬉しい限りだ。「新グレート・ジャーニー」がうまく行くことを!旅路平安♪

詳細は、
http://www.asahi.com/travel/news/TKY200903270103.html
関野さんのサイトは、
http://www.sekino.info/


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アリゾナ取材から帰りました

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↑グランドキャニオン

先週土曜日夜、アリゾナ旅行から戻りました。昨年、州都フェニックスでメジャーリーグの春季キャンプの取材をしたことがあり、アリゾナはけっこう好きな州です。

今回は、フラッグスタッフを起点として、セドナとグランドキャニオンを取材しました。

セドナは世界中からスピリチュアルな人が集まるところで有名な町。赤茶けた岩が町をとり囲み、いかにもという雰囲気。さすがだと思ったのは、町の観光案内所にいくとヒーラーの顔写真付のパンフレットのコーナーがあったことです。

僕たちも、アメリカ先住民の血を引くヒーラーの案内で、メディテーションをセドナの丘の上で体験しました。このヒーラー、僕の故郷の熊野の友人H君によく似ていて、親近感を持ちました。地元の人なら判ると思うけど、喫茶店「竹林パワー」の店主にそっくり。
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セドナの山に登り、岩肌に横たわる。目をつぶる。頬に感じる風が気持ちいい。ヒーラーが奏でる太鼓の音、笛の調べが心地よく、なんや母親の胎内にいるようなリラックスしたいい気分になりました。こんな時間を、日常生活でも持つ必要があるなあ。

グランドキャニオンは想像以上にすごかった。近くの飛行場jからヘリコプターに乗り、林の上を飛んでいくと、どーんと大渓谷が眼下に広がっていた。カメラ3台でパチパチと忙しい。このような壮大な大自然は日本にはない。不況、なんぼのもんじゃと思ったね。

アメリカの魅力は、都市ではなく大自然です。グランドキャニオン、ブライスキャニオン、ザイオン・・・いいところがいっぱいあります。

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大阪出張、友人との40年ぶりの再会、スパイス取材

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スラゥエシ島(インドネシア)で見た丁子

先週の土曜日、久しぶりに大阪「出張」。取材ではなく「出張」だ。今年、僕が好きなある国の広報の仕事をするようになり、大阪のテレビ局スタッフとの打ち合わせがあったからだ。要するに、その番組のために、こちとらの協力体制と、航空会社の条件、旅行会社の協力などなどを話し合った。

そのあと、大阪の有名雑誌「大人組」の編集部へ。このシニア世代向けのビジュアルな雑誌に、コラムを書き始めて3年以上になる。次号で50号記念号となるので、旅の話をしてほしいという連絡があり、タイミングよく大阪出張があったもんだから、編集長に会いに行ったわけだ。2時間ほど、旅の穴場、持ち物などをしゃべった。
3月10日発売だそうだ。

その後、大阪の漢方薬局のH夫妻に案内されて、お好み焼きを食べに行った。美味満点。これを食べたら、他の店に行く気がなくなったなあ。仕上げは、ちょいと危ないバーへ。

翌日は、高校時代の友人O君と40年ぶりに会った。彼はサイトで故郷の情報を検索していて、僕のブログに突き当たったという。いやあ、懐かしかった。彼とは小学校、中学校も一緒だった。現在、建築事務所を開き、大学で建築学の講師もしているという。

ランチは難波で、僕の友人の水中カメラマンT君も交えて。それぞれ一匹狼なので、話は面白い。T君とは10年ぐらい前にマレーシア取材で知り合った。当時、マレーシアは年に1回、世界中の旅ジャーアナリストを40人ぐらい招待していた。俺らは東京代表、T君は大阪代表だった。彼は高知の四万十川河口出身で、四万十川の鮎の生態の撮影をライフワークとしている。また、シンガーソングライターとしてCDも出している多才な人だ。

帰京した翌日は、雑誌の仕事でスパイスの講習会に行き、スパイスがいかに体にいいかの話をじっくりと聞いた。僕は、インドネシアのモルッカ諸島などでスパイスを取材し、交易品としてのスパイスに大変興味がある。つまり、スパイスを媒介とした東西交流、海のシルクロードのことですわ。

17世紀からの東南アジアでの、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスとのスパイスを巡る攻防戦。つまりインドネシアの島にある丁子(クローブ)とナツメグの争奪戦だった。結局オランダが制することになる。オランダとイギリスとの小競り合いには、両国の軍隊に日本人傭兵がいたという。ベトナムやフィリピンなどの東南アジアの日本人町にいた日本人が応募したのだろう。この話は、亡くなった作家・新宮正春氏から聞いた。いつかこのネタで小説を書きたいね。

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変なメールが多いんです、最近。

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↑東京タワー近くの増上寺境内で

昨日今日と温かい。20度だぜ。変な天気だね。この陽気で梅も元気づくだろうね。

変といえば、ホームページとかブログを公開していると、時々不思議なメールが来るんだよね。このコラムのタイトルは、なんや宇能鴻一郎の小説みたいだけど。「私、最近こまっているんです。変なメールが来ちゃって」なんちゃって。

あなたの弟子にしてほしいとか、ブログの話に書かれていた人は私の知りあいだとおもうけどメアドを知らせてくださいとか(僕のブログ、08-10-27を読んでみてください)、来月南米に行くので情報を教えろとかね。弟子にしてくれとメールを書いて寄こした立命館大の女子学生、俺がギリシャ取材の前日に一生懸命書いた返事には、ちゃんと返事をしなさいな。それが大人のルールってものだろう。

それらのメールには「愛」はないのね。○○様(俺らのこと)。初めまして、自分はこういうもんです。あなたのサイトでこんな記事を見つけました。こういうことについて教えていただきたい、なんて謙虚な姿勢がない。もちろん、ネットならではのいいメールもある。熊野古道を旅した人が僕のサイトを見つけてメールをくれるとかね。

以前、このブログにタモリと写真家浅井慎平さん、僕とのエピソードを書いたら、読んだ人からこんなメールが来て、僕はぶっとんでしまった。その内容は・・・

「過去にタモリさんとの遭遇があったこと羨ましい。でも、人生が空しくて、寂しくて、たまらなく侘しくなってしまっている私を、タモリさんは唯一、“生きてるのも悪っきゃない”と瞬間、楽しく思わせてくれる人なのです。しょっちゅう、タモリさんとの夢をみます。そしてタモリさんの独特の優しさに触れ、ほんわかと、とても素敵な気持ちに浸れて、次の一日は幸せ気分で過ごします。ですから、どうかタモリさんを呼び捨てにしないでください」

どうも、僕がタモリを呼び捨てにしたのが気にくわないらしい。しかし、知り合いを呼び捨てにしては悪いのか。

ほいで、先日、こんな変なメールが届いた。
「前略 今掲載されている私のことに関しての物は全て、大至急削除願います。よろしくお願いします」。

おい、ちゃんと自分を名乗れよ。最初の○○様、初めましてもなし。自己紹介もないし、結末に自分の名前も書いていない。

発信者の名前から女性と分ったが、なんや芸名みたいでリアリティがない。この女性、俺らにはまったく心当たりがないんだよなぁ。どこそこの、この箇所の記事が気にくわないと言われればわかるけど、探しようがない。最近、こんなぶしつけのメールが多いんだよな。

以前、ルール無視のメールが来てこのブログで批判したので、ひょっとするとその女性かいなと思い、名前をチェックしたけれど、そうでもない。うむ。僕は新手の詐欺かいなと思った。このメールに過激に反応すると、こちとらのメールアドレスを確認され、その後ややこしいことになる・・・

で、放ったらかしにしていたところ、友人の写真家S君から電話がかかってきた。「サイトの削除の件なんですけど・・・、ごうさんのサイトにアップしている僕のメルマガを全部削除していただけませんか」。彼に名前を削除してほしいという女性からメールが来たそうだ。名前を聞くと、僕にメールを送ってきた女性と同じ名前だった。

S写真家は沖縄で巨石信仰の深遠さに目覚め、ずっと日本のみならず世界の石信仰を取り続けている。今年、世界の巨石信仰を撮影するために、美人の新婦と世界一周をする人だ。僕は彼のメルマガを僕のホームページにアップしてきた。

国内の石信仰を撮影するために車に寝泊りしながら、各地で写真展や講演会を催してきた。ここからが今回の趣旨ですよ、皆さん。

で、彼が東京に戻ってきたときに講演会をやったわけや。彼は優しい人で、彼のメルマガに、講演にきてくれた人の名前をすべて列挙し、「みなさんの援助のおかげで、旅が続けられます」の精神で、感謝の意を表明した。4年前の話だ。

今回のクレームは、このS氏のメルマガに載っている「私の名前」を削除してくれという依頼だったのだ。みなさん、単なる名前だけですよ。彼女は数十人の彼の講演会への出席者のひとり。名前のみ。発言内容など何も載せていない。その会に出席したことが知らされたのが気にくわないらしい。別に「憲法9条を守ろう」のような、ちょいと政治的な会でもないのになあ。

S写真家からの電話の数日後、その女性から、配達証明付の手紙が僕の元に届いた。
「私の名前を大至急、削除してください」とのこと。筆跡や書き方から、60代(多分)の社会的なことに興味があるオバサンと推測した。

僕はなんやらかんやら和歌山県という気持ちで、僕のサイトを作ってくれたN君に電話し、S氏のメルマガすべての号を削除した。もちろんS氏の承諾済みだけど。世の中には、こんな人もいるんだねえ。故郷の熊野の言葉でいうと「かまってほしい」のかいの。寂しいのかいのう。

サイトに人の名前をアップすることにはナーバスになれ。というレッスンだと、僕は思った。


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ラジオで推理

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↑コロラド州ボーダーで

僕がラジオにいかれている話はこのブログでも再三再四書いたのだけれど、しかし聴くのはベッドの中だけだ。事務所でもラジオはほとんど聴かない。時々、原稿執筆のバックグランドとして、AFN(昔のFEN)をかけるぐらいかなあ。

そのラジオの楽しみのひとつは、スイッチを入れたときに聴こえてくるゲストの声、話す内容から誰であるかを推測するゲーム。テレビと違い顔が見えないから、声に神経を集中していろいろと想像を張り巡らしながら、あの人かいな、いや違うなどと推測する。これはなかなかの知的ゲームだ。ピタッと当たったときは、思わず布団の中で「やった!」と、にんまり。

子どもみたいな単純な遊びなのだけれど、こういうことって、脳の活性化に役立つにちがいない。やはり日ごろの好奇心と読書量が決め手だね。

一昨日、朝4時過ぎに目を覚ました。還暦を過ぎると、朝4時頃に目が覚めることが多い。すぐNHKの「深夜放送便」にダイヤルを回す。朝の4時からは、1時間のインタビューの時間があり、芸術家や俳優、音楽家、学者、宗教家、ボランティアなど、興味ある人物が登場する。ロングインタビューなので聴き応えがある。僕はこれが好きなのだ。みなさん、ラジオを聴きましょう。僕は[ラジオ聴きましょう推進委員会]の広報部長なのだ(ほんまかいな)。

その日、インタビューはすでに始まっており、その日のゲストはだれだか知らない。老人の声が聞こえてきた。彼を仮にA氏としましょう。A氏は満州からひとりで日本に帰ってきて江田島の海軍兵学校に入ったとしゃべっている。江田島にいたときに広島に原爆が投下された。敗戦。その後、上京し上野でホームレス生活や、池袋のテキヤの親分に気に入られ、その後は闇屋生活・・・。その間、ドフトエフスキーの著作を読み耽ったとA氏は淡々と話している。僕はこの辺から、このゲストはひょっとすると中央大学名誉教授の木田元氏じゃないかと推測した。

話は続く。山形県新庄市の親戚を頼って疎開、家族が満州から帰国してきて一緒に生活をする。農業学校へ入り、ハイデガーの著作に遭遇。魅せられ、東北大の哲学科へ入学したなどと話している。

木田教授は哲学者でハイデガーの研究家として有名。僕は、彼の本を2冊ぐらい呼んだことがあり、「闇屋になりそこねた哲学者」(晶文社)などの著作を知っていたからだ。

話を聴いていると、キルケゴールやニーチェ、ハイデガー、サルトルの話がぼんぼん出てくる。僕は木田教授に間違いないと確信した。番組が5時前に終わり、今日のゲストの紹介があった。やはりピンポン。木田教授だった。少し幸せな瞬間だった。いい気分で再度眠りについた。

起きるとすぐに、町田の本屋で「哲学は人生の役につのか」(PHP新書)を買った。経歴がユニーク、言っていることも面白い。今読んでいる最中だけれど、今までのどんな哲学入門書より、僕にしっくり来るようだ。

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メルハバ♪

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↑ボスボラス海峡を望む元王宮だった「チュラーン・パレスホテル・ケンビンスキー」から撮影。

「メルハバ」とはトルコ語で「こんにちは」の意味。縁あってトルコの仕事をするようになりそうです。昨日からトルコ語を学習し始めました。トルコ語は日本語と同じウラルアルタイ語族で、日本語と全く同じ語順です。文法的には、日本語の発想と全く同じというのは楽だわねえ。

ぼくは今まで100カ国回りましたが、トルコほどの親日国は知りません。6回訪問しましたが、いい国で、好きな国のひとつです。トルコ人が日本を好きな理由はいろいろとあると思います。

ひとつは、トルコ共和国建国の父であるケマル・アタチュルクが近代化の手本として日本を参考にしたこと。2番目に、ロシアの南下政策でトルコはいつもナーバスになっていたが、極東の小国が日露戦争でロシアをやっつけたという歴史的事実があります。トルコの首都アンカラには、時の東郷元帥の名前を付けた「トーゴー」という高級靴店があるそうです。

3番目には明治時代に、明治天皇に謁見にきたトルコの海軍船「エルトゥールル号」が横浜港から神戸に向かう途中、我が故郷の串本沖で座礁、沈没。そのとき、大島の島民は献身的に、660名の乗組員のうち69名を救助する。島人は生存者に献身的な介抱をし、衣類や食事を与えたという。その美談はトルコの小学校の教科書にも載り、トルコで連綿と語り継がれてきたと、聞いたことがあります。

そのとき日本では義捐金などがあつまり、山田寅次郎という人が、代表でトルコに渡り義捐金を渡したそうだ。その彼の伝記である「明治の快男児トルコへ跳ぶ」(現代書館)が先日発行されました。

トルコ人には親切を受けると、必ず恩返しするという国民性があります。今度は日本がトルコに助けられることになりました。時は1985年3月、イラク・イラク戦争のとき。イランには215人の在留邦人がいました。イラクは3月19日20時以降、領空を飛ぶ飛行機は撃ち落すと言明。日本やアメリカの航空会社は国際航空法上、救助飛行を拒否したそうです。

そのとき果敢にも飛行機を提供したのがイランの隣国トルコでした。日本人を乗せた2機のトルコ航空機がイラン上空を飛び去ったのはタイムリミット3時間前だった。

エルトゥールル号が遭難した大島には慰霊碑とトルコ記念館があり、トルコから駐日大使が着任すると必ず大島を訪ね献花するという。現在、トルコから水中考古学の専門家が大島に来て、潜水し遺品を収集しています。串本町とトルコは今も草の根の民間外交が続いているのであります。

日本とトルコのこんな関係を、和歌山県観光大使として、もっと皆さんに知ってほしいと思います。


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赤いパンツ

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先日、還暦を迎えた。俺が還暦?という感じですわ。大阪の日高薬局の大将から、お祝いの、ド派手な赤いパンツが届きました。台湾で手に入れたとのこと。大将、おおきによ。エフカリスト、タック、ダニャバッド♪

この赤い色と、書かれている「財源●●●」という立派な漢文を見ていると、それだけで興奮しますなあ。昔、子どものころ、還暦といえば「お爺さん」というイメージが強かったが、自分が還暦の歳になるとはねえ。今も信じられないです。

こちとら60になっても元気。昨年も病院に1回も行かなかった。23年間病院に行っていないことになる。僕は、年齢の8掛けが現代人の年齢やないかなと思っています。つまり。60歳は48歳、50歳は40歳というようにね。やりたいこともいっぱいありまっせ。あんまり公にはしたくないけども、グアテマラへの短期スペイン語留学とか、ニューヨークマラソンを走るとか(すでに4回フルマラソンを完走)、10カ国語をしゃべる(笑い)とかね。

実は、友人たちが僕の還暦パーティを祝ってくれると飲み会を企画してくれたのだけれど、妻の親父さんが亡くなり、僕の誕生日の日がお通夜だった。これも縁でしょう。当然、飲み会は先送り。2月に入ったら、みんなに呼びかけてやろうと思う。

昨夜、紀伊半島の高校時代に日本史を習ったF先生と40年ぶりに再会した。山口県から仕事で上京するので会いたいとの、先生の年賀状で実現したもの。高校時代の同級生を4人呼び、新宿でささやかな宴。高校時代の昔話で盛り上がること。先生の記憶のよさにびっくりした。教師をやっていていちばんの楽しみは、教え子と会うことと、僕の爺さん(元教師)に聞いたことがあるけど、F先生は楽しんでくれたかな。

  大寒に赤いパンツをかぶりけり
  還暦の仲間の皺の三寒四温
  大寒に足の細さは父に似て
大寒に恩師の訛りそっと聴く
  会う恩師眉毛の色は白雪か

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ラジオ讃歌

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↑ナッシュビルの「グランド・オール・オープリー」会場。カントリー&ウエスタンの殿堂

前回の続き。
僕はラジオをこよなく愛している。というのは、かつてラジオによく出演したおかげで、ラジオ番組作り手の真摯さをよくわかっているからだ。テレビ製作のスタッフは概していいかげんな連中が多いが、ラジオ製作の人間は雑誌や単行本の編集者と感じがよく似ている。会って話すと、同じくうきかんが漂う。だからラジオが好きだ。

移動中にAFN(昔の駐留軍放送のFEN)を聴くために、携帯用の小型ラジオはいつもカバンに入れている。地震などの緊急時にも役に立つと思うからだ。

事務所では日中は聴かないが、ベッドの中では毎日聴いている。ベッドでよくダイヤルを合わすのは、22時のTBSラジオ「アクセス」。この番組は、時事テーマについて電話討論し、ジャーナリストや評論家がそれについてコメントするというもの。

朝方早く目が覚めると、4時からのNHK深夜放送便のインタビュー番組だ。芸術家や宗教家、ボランティアをやっている人などに1時間インタビューするという内容。

そして6時半からのTBSの森本毅郎の番組で、8時前には文化放送にちょこっとダイヤルを合わせ、武田鉄也の「朝の三枚おろし」を聴いている。武田がいろいろな本を紹介するのだが、なかなか切り口というか視点がいい。

そのあと8時半から文化放送の「くにまるワイド」を聴く。僕はこの番組も毎日9時過ぎまで聴いて、出社する。大きな声では言えないが、朝方の文化放送の番組の吉田照美はテンションがやけに高く、話す内容もイマイチなので僕は嫌いだ。

写真は、ナッシュビルのライブハウス。いわゆるカントリー&ウェスタン音楽の聖地だ。この中西部のカントリー&ウェスタンミュージックが全米的に広がったのは、ナッシュビルのライマン公会堂で「グランド・オール・オープリー」という公開音楽番組が、ラジオで流されたからだ。場所は移転(写真)したが、現在も番組は続けられている。

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太宰治,生誕100年

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↑サンフランシスコ港

ここんとこずっと毎朝6時半から、TBSラジオ「森本榖郎」の番組を聴いている。還暦近くにになると早く目が覚めるようだ。他の局の同じ時間帯の番組と比べると、レギュラーのセレクションがはるかにいい。世界情勢から環境問題、文学、映画、書評まで幅広い人材をゲストに選んでいるからだ。

TBSのこの番組で僕のお気に入りゲストは、環境が専門の月尾東大名誉教授と、詩人の荒川洋治さんだ。荒川さんは毎週火曜日の午前8時に登場する(彼は僕と同じ世代で、若い頃彼の詩を読んでいた。今も彼の詩集を持っている)。

荒川さんは早稲田の文学部の教授でもあるのだけれど、番組では、辞書の話、刊行予定の世界文学全集の裏話、地図帳の話、日本各地の文学館の話など、出版界や文壇にまつわる話が多い。専門の詩の話はまだ聴いたことがないなあ。

照れながら、とつとつと福井弁でしゃべる荒川さんに好感を覚える。時々、森本キャスターが突っ込みを入れ、それはそれで面白い。

昨日、ベッドで荒川さんの話を聴いていて、ちょいとびっくりした。へええ、ちっとも知らなかったぜ。彼曰く「今年は太宰治と松本清張の生誕100周年で、いろいろなイベントが行われますよ」と言った事。太宰と清張が同じ歳だなんて、想像したことすらない。

いかにも文学青年という苦悩に満ちた太宰の若い顔、一方、唇の厚い苦労人の往年の清張の顔。知らないうちにこの顔の写真が、こちとらの脳に刷り込まれていたんだ。

ほかに、今年生誕100年を迎える作家は、「死霊」の埴谷雄高、「俘虜記」の大岡昇平、「山月記」の中島敦など、そうそうたるメンバーが並ぶ。ほかに1909年生まれの有名人はいないかと探してみると、あります、あります。映画評論家の淀川長治、俳優の上原謙、益田喜頓、杉村春子、田中絹代、写真家の土門拳、漫画家の横山隆一、プロ野球監督の水原茂、クラリネット奏者のベニー・グッドマン、経済学者のドラッカー・・・。みんな「同級生」だ。

それにしても、太宰が清張と同じ歳という事実には、まだぴんとこない今日この頃です。

そういえば、元旦の朝日新聞の全面広告(新潮社だったか)、太宰と清張の顔写真が大きく出ていたなと思い出した。そのときは気がつかなかったけど。出版社では、この2人の作家をセットにして、今年売り出す予定らしい。

作家清水義範が二人に乗り移って創作した(でっちあげた?)「生誕百年 太宰と清張の架空対談」が面白い。いかにも太宰、清張が言いそうなことを「対談」にしていて面白い。

http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090104/bks0901040854000-n1.htm

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新春大吉

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↑インドネシア・スラウェシ島の日の出

明けましておめでとうございます。本年も我が「旅志貫徹」をよろしくお願いいたします。

いつも訪問してくださる、C坊さん、M久保さん、K野さん、U野さん、U島さん、W賀さん、Sめぐさん、仏師さん、キヨさん、トシさん、遊走人、オッカン・・・その他、たくさんの皆さん、今年もよろしくね♪

今年のお年玉として、ipodの安いのを買いました。遅いipodデビューです。音楽を聴くというより、英語とスペイン語の勉強のためです。さっそく、英語のCDなど30枚ほどをインポートしました。しかし語学のCDだけではつまらないので、息抜きとしてクラシックやジャズ、オペラ、演歌なども入れました。

このipodは切手2枚分のちいさなツールです。ほんまにこんな小さな器械にCDが30枚も入ると感激です。僕はシャッフルといモードにしました。次に何が出てくるかわからないという、スリリングなものです。シェークスピアの英語の台詞のあとに、北原ミレイの「石狩挽歌」が聞こえてきたりして、面白いのです。

大晦日の夜、僕はベッドでこのipodを聴いていました。最近手に入れたCD、それはアメリカの「村上春樹」というべき、人気の作家ポール・オースターの肉声の朗読と、沢木耕太郎や小川洋子、柴田元幸らの日本語の朗読が入っている優れものでした。

僕は、ベッドで、東大教授の英文学者・柴田元幸が日本語で朗読する、ポール・オースターの「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」を聴いていました。ニューヨークのブルックリンにある葉巻屋の若い青年のクリスマス・ストーリーで、いかにもオースターらしいこじゃれた素晴らしいニューヨーク・ストーリーでした。ぼくの好きな、ニューヨークの光景が瞼に浮かんできます。

で、ええ話やと感激に浸っていると、次にipodから聴こえてきたのは、この音楽でした。ぼくの好きなやつ。スティービー・ワンダーの「I just called tosay I love you」でした。物語がこの曲に集約されていくようで、あまりのタイミングのよさに、僕は拍手しました。一気にニューヨークの街並みの映像が頭を過ぎりました。これでこの物語は、僕の頭の中で完成したと・・・。

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年も迫りましたね

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今年もそろそろ終わりですね。1年が早いなというのが実感。今年も僕のブログを本文してくれた方々に感謝申し上げます。

今年の日本の置かれた状況を見ると、幕末のような状況のように感じて仕方がありません。黒船はサプライム問題とパラレルでしょう。

  年末や幕末の凶この頃
  麻生区にも北風くち曲がる
  除夜の鐘ベッドの父に共鳴す

来る2009年もどうぞよろしく。よいお年を。
これから年賀状書きです。

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高校の同級会

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↑みんな、歳とったなあ

先日、故郷の熊野勝浦温泉で高校時代の同級会があった。高校を卒業して40年ぶりの、初めての同級会だった。こちとら仕事が忙しく出席はできなかったが、昨日幹事のS君から同級会の写真や記事がかかれたパンフレットが送られてきた。

S君によると同学年160人が出席したという。僕たちが高校に入った1964年は東京オリンピックの年。団塊世代のど真ん中なので、生徒は多かった。同じ学年だけで600名ぐらいの生徒がいたと思う。僕の組のみんな白髪も増え、それなりの歳の取り方をしているね。40年ぶりに見る懐かしい顔に「ほうほう」といいながら見いりましたで。次回は参加しますよ。

今月は、ロンドンで出会った仲間2人と会うことができた。これも38年ぶりだった。ロンドンにいるときに、我々はタブロイド新聞で、三島由紀夫の自決を知った。いやあ懐かしいですわ。

今考えているのは、マドリッドのユースホステル(YH)宿泊者のOB会。1970年にこのマドリのYHには、日本人バックパッカーの間で有名な「番長制度」があった。マドリのYHは「カサ・デ・カンポ」と呼ばれ、兵舎のような家が並んでいた。

ドイツのYHにある門限などなく、1日中オープン。しかも食事がよかった。毎晩ワイン付きのディナー。そんな噂を聞いて、ヨーロッパから日本人バックパッカーが集まってきた。管理人は、フランコ支持者の右翼のドメスという親父だった。

夏に北欧で皿洗いしてお金を稼ぎ、冬に温かい南欧に下ってくるというのが、当時のバックパッカーの定番だった。僕は北欧で働かず、北欧からずっとヒッチハイクをしてギリシャへ。そこから地中海を船でフランスのマルセーユに行き、汽車でバルセローナに向かい、ここで、アントニオ・ガウディ、ピカソとミロに敬意を表し、マドリッドに入った。

このYHに長く宿泊している奴が番長を襲名する。ぼくは2代目番長だった。番長はそこそこの権限があり、新入りがあれば、歓迎のパーティを催し、あるときには、間取りの蚤の市での店の出し方を教授し、またあるときには、可愛いいセニョリータがいる大衆食堂へと案内する。初代は四日市出身のT君。当時18歳だった。

ネットを探していると、8代目番長を中心とした「マドリッド番長会議」を見つけた。さっそく連絡を取ると15人ぐらいの会員があるという。

僕は、すぐに入会を申し込んだ。この会のメンバーのなかにはボランティア精神旺盛な人がいて、カンボジアに小学校を作る運動をしているという。番長会議は彼を支援して、カンボジアに立てた小学校をみんなで見に行くために、積立貯金をしたりしている。

今、1970年の旅と紀行文の書きかたの本を執筆中だ。本が世に出る暁には、1970年代のバックパッカーを集めて、盛大なパーティをしたいものだ。旅先で1夜しか会っていないが、再会したい人がたくさんいる。そういう人を集められたら面白いだろうな。

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「007は2度死ぬ」日本ロケ

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↑007と浜美枝の「結婚式」が行われた那智大社

先日、朝日新聞の夕刊を読んでおったら、「高校休んで映画ロケ」と大きく出ていた。埼玉県本庄市で、今月3日に撮影された映画「ルーキーズ」の撮影に、東京からの参加も含めて地元の640名もの高校生や若者が学校を休んで参加していたらしい。

ぼくはニヤリとした。
というのは、高校3年生の夏、僕も学校を休んで映画のエキストラに出たことがあるからだ。あの「007は2度死ぬ」の日本ロケが敢行され、わが故郷の那智大社で、007とボンド・ガールのキャッシー鈴木(浜美枝)の結婚式の撮影が行われた。

007が日本の漁村に忍び込むための偽装結婚式という設定。余談だが、ザジズゼゾの発音がでjきない熊野人は「デロデロ・セブン」と言っていた。日本史の教師に授業で「土曜日に学校を休んで映画に出た奴がいる」と茶々入れられたけど、問題は全くナシ。クラスメートなどは「おい、国際的俳優!」などと笑わせてくれた。

土・日曜日の撮影で、僕は学校を休んでエキストラとして参加した。物好きな親父も参加。「学校の授業より、イギリスの映画の現場を見ておくほうが、将来のためになる。授業を1日休んでもすぐ取り返せる。しかしイギリスの映画の体験はちょいとない」とか言っちゃって、親父はエキストラに申し込んだ。かなりの狭き門だったように思う。うまい具合に、2人とも選ばれた。

そのときの我々の役柄は鈴木家(浜美枝がお嫁さん)の地元の親戚という設定で、紋付羽織袴を着て「仕事」をした。神殿の前方にお年寄りが座り、僕たち若者は後部へ。撮影のオッケーが出るまで何回も取り直しがあった。照明のライトがこんなに熱いもんだ、初めて知った。

撮影中は、境内には一般の人は立ち入り禁止だったが、紋付羽織袴を着ていれば、顔パス。当時外国語系の大学に進もうと思っていた僕は、ここ幸いにとイギリス人スタッフと英語で話をした。コックリー訛りのイギリス人スタッフが多く、リスニングには苦労した(今も僕のリスニングは問題ありだけどね)

こないだ亡くなった丹波哲郎さんは「タイガー田中」という秘密警察という設定だったが、ボンドとの台詞や、スタッフとの会話で話す英語のうまかったこと。背も高く、実に堂々としていて、ああなりたいと思ったもんだ。後で聞くと、米軍の通訳をやっていたそうだ。

で、映画が日本で上演されたので見に行ったら、ほとんど映っていなかった。神殿の後ろのほうで、黒くもやもやした集団が俺たちだった。けど、面白い体験で大変満足した事を覚えている。出演料も3000円(食事つき)と高給。今から40年前の3000円だもんね。親父と勝浦温泉で鮨を食べて帰った記憶がある。

伊丹十三監督が元気なころ、友達のカメラマンに誘われて「静かな生活」という映画にエキストラ出演をした。友人は、この映画のポスターやカタログの写真を撮っていた。「ちゃんとした機材を持っているカメラマンやジャーナリストを監督が探している。エキストラでも本物を使いたい」とのことで、こちらは喜んで撮影現場の広尾の三井倶楽部に行った。官邸詰め記者・カメラマンの役なので、ネクタイを締め、白いコートを着て撮影に臨んだ。

ここを首相官邸とみなして、ポーランドの大使が入ってくるシーン。そこに群がるカメラマンやレポーターという場面で、俺はその群れの真ん中でストロボをどんどんたいてくれと注文された。押し合いへし合いしながら写真を撮る。やっているうちにエキストラ諸君も乗ってきて、かなりの緊張感が生まれた。これは取り直しが少なく、すぐにロケは終わった。

その後、有楽町の映画館で試写会が催された。どこに登場するのかいな、と見ておったら、開始から45分目に俺が登場。今度ははっきりと自分の顔が確認できましたです。いい演技でしたよ、ハイ。

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再彩斎・熊野の旅

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↑七里御浜

昨夜、故郷熊野の旅から帰ってきました。今年5回目のわが故郷訪問でした。先週金曜日(12月5日)の夜行バスで故郷に帰り、親父の7回忌の法事に出席。北風が吹き、お寺での読経のときは寒かった。そのあと住職とともに親父の墓へ向かいました。

親父の墓は作家中上健次の墓のそばにあるので、墓参りするたびに中上先輩の墓に手を合わすことになります。日本各地から中上文学ファンが訪ねてくるので、いつも花や日本酒、タバコなどが供えられていて、彼の人気のほどが分ります。

さて、墓の前で線香を点けようとしたら、ライターのオイルが少なく、悪いことに風が強く、けっこう往生しました。なんせ、我がファミリーにはタバコを吸う人がいないので、ライターやマッチがないんですわ。悪戦苦闘の末、やっと線香に火をつけることができました。その顛末は愚弟のブログ http://blog.livedoor.jp/quanpo/を覗いてみてください。彼のブログには、ほかにディープな熊野的世界が描かれています。

思い起こせば6年前の暮、「親父が危ないので、早く帰ってきて。年を越えることができるかどうか」という愚弟からの電話をもらい、すぐに帰郷しました。結局、新年の9日に親父は他界。南洋兵士は永遠の眠りにつきました。今までに3回死にかけた親父の最後の旅立ちでした。

親父によると、1回目は小学生のときに川でおぼれ、ほとんど死にかけていたそうな。たまたま川のそばを牛を引いたおじさんが通り過ぎ、その人に助けてもらい、体を牛の背中に乗せられたそうな。骨のでこぼこによって、飲み込んだ水が一気に出て生き返り。

2回目は、ニューギニア戦線へ出向き、乗っている駆逐艦が米軍の攻撃を受け、脚を負傷しトラック等の病院に送られる。ニューギニアでは日本軍は壊滅。戦友はほとんど死んだが悪運強い親父は、脚を撃たれたために命拾い。

3回目は、日本に帰ってきて広島の呉の鎮守府にいるときに、原爆に遭うが距離が離れていたために、これまた命拾い。もう1回ぐらい、死にかけたことがあったと思いますわ。親父に言わせると、死に間際に三途の川から、「こっちに来い」と手招きされたが、必死に行かないでいると目が覚めて往き返ったと言ってました。

7回忌には親族13名が集まり、故人を偲びました。知的好奇心旺盛な、よく働く親父でした。叔父も伯母も元気で、子どもや孫の話などで盛り上がりました。

点滴の液青む今山眠る
山眠る血圧計にも傷があり
わたくしの股引き細し父に似て

そのあと、友人のうどん屋の大将を訪問、天下国家を熱っぽく語り合いました。夕方には隣の三重県の熊野市に移動し、ホテルにチェックイン。友人3名とホテル近くの居酒屋で飲みました。古くからの友人は、話がツーカーなのでいい。

翌日は、熊野市教育委員会主催の講演会で、俺らが講師。開始の2時まで時間があったので、市のスタッフのMさんと熊野古道を少し歩きました。

岩の苔風と影の遊び場所

松本峠に行くと、天気がよかったので七里御浜がくっきり。熊野川まで23キロも続く美しい海岸線です。前方に今年歩いた那智山や、太地の燈明崎まで見渡すことができました。

いままで何回も松本峠に行ったが、こんなに透明感があった記憶はない。素晴らしい冬の1日でした。 写真は、その松本峠から見た七里御浜。左端の岬が捕鯨で有名な太地の燈明崎、山並みは、今年歩いた那智の妙法山や大雲取がくっきりと屹立しています。

その感動を、中原中也風に、パロディの詩を書いてみると・・・

天使が綿菓子を食べ、青空が海に移住し
白い斑が海面を漂っています

そこから茸のにおいがして、冬の日の熊野灘は穏やかです
遠くに燈明崎が霞んで見え、黒い瓦が静かにダンスを踊っています

トンビが舞い、これから冬の日の海は夕暮れに向かって前進し
波は自らの血脈に戻り、血のリズムと同調します

おお、なんという宇宙のリズムよ
みかんの香りがする風を呼吸し
霊魂は後に残って

ポケットに手を突っ込んで、冬の山を眺めていると
父の映像が気になりだします

すぐ下の道を自転車が通っていきました
今日一日、銀の風
天使の水遊びの優雅さよ
行ってらっしゃい 行ってらっしゃい
空を見上げる私のまなこ

講演はうまく行きました。タイトルは「海外旅行40年、今ここにいる幸せ」。愚弟いわく「アニキ、いつから宗教者になったん?」。確かに、新興宗教の講演会にあるようなタイトルやねと苦笑い。出席者の平均年齢は65歳ぐらいかな。現在、年配者の知的好奇心がすごいね。僕の漫談をしっかりとノートを取理ながら聞いてくれました。感謝多謝♪
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講演が終わった後、紀勢線で亀山へ。ここのホテルで滋賀県近江八幡に住むD君と合流しました。彼は1年のうち半分はホノルル生活という贅沢な身分です。ホノルルのロータリークラブのメンバーとして活躍中ですわ。今回、彼と二人で仏師のI君を訪問し、酒を飲みたおしたろやないかい、というもの。

僕たち3人は、いまから38年前にロンドンの安宿で出会った。ともに同じ年齢で大学生でした。仏師I君は学生時代から手先が器用で、ロンドンでは皮を買ってきて、よくカバンなどを作っていました。今や仏像を作ることが本業ですが、国宝級の仏像の修理修復で名を成しています。しかし、仏師になるとはまったく想像しなかったなあ。彼も僕が紀行作家になることなど予想だにしていなかったでしょうけど。

3人がロンドンで会ったころに、三島由紀夫の割腹事件が起こり、一緒に朝日新聞のロンドン支局に朝日新聞のバックナンバーを見に行った記憶があります。まさに3人で一緒に会うのは1970年以来でした。ともに白髪が増え、髪も後退している身。3人の再会と元気に乾杯と感謝♪ 考えてみれば3人とも自由業でした。

仏師のI君とは、ロンドン~イスタンブール~インド・ネパールへと一緒に旅した仲間。ハードでハッピーなアジア・ハイウェイのビンボー旅行でした。彼のアトリエは滋賀県の甲賀市の郊外の、素敵な環境の中に建っていました。家の前が溜池で、これを借景としているわけですわ。

僕が当時のアルバムを持って行き、ロンドンでの安宿生活、アジアハイウェイでのヒッピー旅行などの写真を肴に飲んだ日本酒の美味かったこと。友に酔い、話に酔い、酒に酔った一夜でした。午前3時まで語り合いました。

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「ここの山中にMiho Museumという、素敵な美術館があるので案内したい」というI君の勧めで、一緒に行きました。いやあ建物も展示物も素晴らしい。設計のコンセプトは「桃源郷(シャングリア)」。陶淵明の「桃花源記」に描かれた物語を、信楽の山中に再現したというわけです。

これは滋賀県の財産やね。建物は、ガラスのピラミッド型のルーブル美術館を設計したI.M.ペイ氏。この中国系のペイ氏はワシントンのナショナル・ギャラリー東館も設計しています。このMiho Museumもガラスをふんだんに使い、柔らかい光が館内に充満していました。

展示されている美術品は、メソポタミア、ギリシャ、ローマ、中国の一球品ばかりでした。この美術館は世界救世教系の新興宗教の持ち物ですが、館内には宗教宣伝臭さはまったくなかった。滋賀県に行ったら、ぜひ訪ねたい美術館です。現在、特別展として「川端康成と安田靫彦」の「大和し美し展」を開催しています。お二人の作品や原稿、骨董のコレクションが見ものです。
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タイ通による、タイ情勢の解説

タイ情勢については、なんやらかんやら和歌山県です。何がどうなのか、日本のメディアからでは理解できない。
何でもありのタイ。クーデターは恒例のお祭りみたいで、最終的に国王が登場して、しゃんしゃんと手打ちという感じがしています。が、今回は分りづらい。

そんなとき、友人のドバシさんがメールを送ってくれました。彼は東南アジアを中心としたホテルのレップをしていて、アジア情勢には詳しい。彼の了解を得て、やつがれのブログに転載します。

●タイでメシ食っています土橋です(←鯛茶漬けかな?)。僕としては、PAD(民主主義のための市民同盟)にかなり頭にきています。長引くと思ったら、やっぱりです。

今回のタイの騒動に関し、日本のメディアが正確な事情を十分に伝えないていないので、僕が知っている限りの情報をお皆様にお伝えします。

PADは、あたかも市民団体であるかのようにメディアは伝えていますが、実体はかなり違います。むしろ反民主主義の反市民団体です。外国人とタイの経済を人質にとるやり方は、テロそのものです。これを平然とやりきる民主主義の市民団体などあるわけがありません(←政治団体名を、いかにも民主主義団体のようにするのは昔からの常套手段です)。

彼らの背後は、旧保守勢力、旧伝統的なエリート層、タクシン政権時代の改革で長年持っていた利権を失った旧体質の企業と、利権の構造から甘い汁を吸っていたマフィアたちです。彼らには「公の利益」という言葉かありません。ですから、自分たちの失った利益を取り戻すためには、常識など必要がありません。

PADの政治的な主張は、「国会議員の7割を任命制、3割を選挙で選ぶ」、です。農民は正しい政治的判断が出来ないので選挙権を与えるべきではない、とも主張しています。これで皆さんわかるでしょ(←わかる、わかる)。

2006年PADは相当の金をつぎ込み、軍にクーデターを起こさせるのに成功しました。しかし、時代は旧体制が復活しても国を運営できないことが証明され、1年後、軍は政権を手放し総選挙で民意を問うた訳です。当然タクシン派の圧勝でした。

これでは大金をつぎ込んでせっかくタクシンを追い落とした旧体制派としては我慢が出来ません。彼らは力づくで再度クーデターが起きる状況を作り出そうとしました。それが首相府の占拠です。そして彼らは今「最後の闘い」を行っています。

彼らが言う「最後の闘い」の意味は、選挙をすると必ず負けるとわかっていますので、なんとしても混乱を引き起こしクーデターをもう一度やってもらおうとの魂胆です。そして憲法を改正し、自分たちの理想としての体制を作ろうとしています。夢よもう一度、です。

PADにとって誤算は、これだけの混乱を引き起こしたのに軍が動いてくれないことです。前回のクーデターで軍はPADのお先棒を担ぎ、大きな恥をかきましたので動きたくないのでしょう。軍にはむしろ選挙で民意を問えといわれてしまいましたが、PADとしては絶対飲めない提案です。

空港閉鎖以後にバンコクポール大学は、バンコク市民1080名に緊急のアンケートをとりましたが、70%以上がPADに反対しています。地方の大部分を占める農民はタクシン派を支持しています。

PADの支持者としてデモに参加している人達の多くは、日当500バーツと昼寝と食事付きで集めれられている祭りの好きな連中です。暴力でストレスを発散したいチンピラは率先して参加しています(←いわゆるガス抜きですわ)

今日、タイ憲法裁判所が与党に解党命令を出しましたが、これまたかなり政治的です。ほとんど何も審議せずにです。この判事たちはクーデター時に旧保守体制側の守護者として任命されていますから、この判決は当然ですね。選挙でタクシン派が圧勝したのに、タクシンが亡命せざるを得なかったのもこの憲法裁判所の判事たちがいるからです。

表向きのPADのリーダーのソンティは、以前タクシンの友達でしたが、成功者に対して逆恨みしているとしか思えない。彼を絶対にタイに戻したくない一心でPADのリーダーをやっているのだろう。もう一人の表向きのリーダーのチャムロンは、76年の「血の水曜日事件」の指揮官の一人です。

その後、彼は2度青年将校団としてクーデターを起こしましたが、2度とも失敗しています。今まで悪いことばかりしてきたので出家し、92年のクーデターでは市民側に付きましたが、やっぱり根は悪者です。

今年の8月から首相府を占拠し連日1-2万人の食費を出し続けられるのは、市民団体では無理です。資金源は利権を失った古い体質の華僑企業です。タクシン側も勿論多くの華僑企業がいますが、タイの経済は世界の中の歯車の一つとして活動していることを理解している企業です。

前回のクーデターでPAD側が軍を表に立てて政権を実質運営しましたが、愚策と無策でバーツ高を引き起こしタイ経済に打撃を与えてしまいました。時代は彼らを必要としなくなっているのです。PADに反対する人はその事を理解しています。空港閉鎖による経済的な損失や国家としての信用の失墜は、アナクロニズムのPADには理解できないことだし、理解する必要の無いことです。

4日には国王が何らかの判断を行うと思いますが、旧伝統的エリート層とは日本でいう華族ですので、身内を庇うことになるのか、それとも21世紀に相応しいタイを考えるのか、彼の判断を待ちたいと思います。

●追伸
PADの空港からの撤退でホット一息です。国王の誕生日12月5日の為の一時休戦です。PADにしても、次期政権がタクシン派であることは充分認識しています。

おそらく、疲れたから、闘争資金が不足してきたから、国王からネガティブにいわれるとこの先続けられない、非難が多すぎた、軍が乗ってこない、などの理由で、見かねた憲法裁の助けによって上げた拳を下ろせた、のが実情でしょう。

与党への憲法裁の解党命令が出ても、下院はタクシン派が多数派ですから、野党から首相を出し、野党による内閣はできません。出来たとしても全く機能しません。PADが納得する政府が出来る可能性は極めて低いです。

そうすると、彼らは再度何らかの行動に出るでしょう。その時、これまでおとなしくしていた反PAD側、それこそ本当の市民が怒りの行動に出るのではと思います。

暫らくはタイの政治から目が離せません。


↑タイはすべて国王の裁定待ちの国。今、キングは将棋の名人戦のような長考に入っているんでしょうね。

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秋の熊野古道

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和歌山県田辺市熊野ツーリストビューロー主催によるプレスツアーで、故郷の近くの田辺や熊野古道を再度歩いてきました。今回、東京から5社、関西から3社の記者が集まりました。

中辺路の継桜王子の周辺の紅葉は美しかった。でもほんの一部だけの紅葉でしたけど。今回、本宮大社からの大日越えをしました。約2キロの熊野古道。最初の登りから、けっこう急勾配で、二日酔いの小生にはきつかった(笑い)。行程約1時間半のルートは、簡単に熊野古道の雰囲気を味わうには、なかなかいい。おすすめです。

   紅葉の陰に隠れて山頭火
   かさこそと落ち葉と話す山頭火

田辺郊外では、みかん畑に行き美味しいみかんを盗って、ではなく取ってきました(撮ってきました)。現地のスタッフの皆さんには大変お世話になりました。謝謝感謝、ダンケシェーン、グラー謝ス、キートス、オブリガード、テレマカシ,ダニャバッド、エフカリスト、テシェキュールと10ヶ国語で感謝の意を表明したい。
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「私の上に降る雪は」

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昨日、東京駅近くのホールで『中原中也「私の上に降る雪は」』の朗読公演があり、行ってきました。20年来の酒飲み友達、声優の長谷由子さんがプロデュースしたものです。彼女はテレビなどのナレーションで大活躍なのですが、あの成田空港の搭乗アナウンス「JAL001便、ただいま搭乗手続きをしております」なども彼女の声です。関空への電車の車内アナウンス、JR東海の新幹線グリーン車のオーディオ案内も担当しています。

昨年、僕が仕掛けて長谷さんに朗読の入門書「朗読日和」(彩流社)を書いてもらいました。朗読の入門書と自負しています。この本は気分的には共著のような感じ。本はなかなか好評のようです。

長谷女史とはよく会って飲むのですが、その席で声優やナレーション仲間をたくさん紹介してくれます。ナレーター業界の大御所である槇さんとか、TBS系の「情熱大陸」の名ナレーションの窪田さんは今やダチです。昨年、長谷女史の朗読舞台で、窪田さんは僕の旅のエッセイを読んでくれたこともあります。

今回の公演では、5人(男性2人)が舞台に上がり、進行役の声優が中也の生涯を語るナレーションで進行し、男性ひとり、女性ふたりが中也の詩を、素敵なギターの演奏をバックに、朗読しました。もうひとりの女性は、中也の恋人・長谷川泰子になりきって、和服姿で艶っぽく大正女を演じました。

中也が16歳のときに、京都で女優の卵であった長谷川泰子と知り合い同棲。しかし、彼女は中也の文学仲間である文芸評論家の小林秀雄のもとに行ってしまいます。中也は昭和13年、31歳の短い命を閉じました。

今回の公演は、彼らの師匠で、声優・ナレーター・舞台朗読家である小林恭治さんへの追悼公演でした。

1時間10分の公演で、17もの中也の詩が読まれました。有名な「汚れちまった悲しみに」から始まり、「月夜の浜辺」「サーカス」「夏の世の展覧会はかなしからずや」、エンディングは「別離」でした。特に3人で順番に朗読した「別離」は秀逸で涙が出てきました。頭の上から中也の吟味された言葉の数々が粉雪のように僕の全身を包んでくれました。

言葉の力はすごいですね。僕は父の死を思い出しました。そういえばそろそろ7回忌です。熊野の浜で親父と石投げをしたことや、戦争で行ったニューギニアの話などを思い出しました。

親父、お袋の臨終に立ち会って、2人から「さようなら、世話になりました」ということばは聞こえてきませんでしたが、身体がそう言っていたと僕らは確信しました。

  さようなら、さようなら!
  いろいろお世話になりました
  いろいろお世話になりましたね
  いろいろお世話になりました
         ・
  干された飯櫃(おひつ)がよく乾き
  裏山に 烏が呑気に啼いていた
  ああ、あのときのこと、あのときのこと・・・・・

学生時代に愛読した中也の詩。「サーカス」も「月夜の浜辺」も好きです。朗読を聴いていて、通っていた池袋大学正門前にあった「ゆやゆよん」という食堂を思い出しました。中也好きの元活動家(多分)がオープンした学生向きの食堂で、一種のアジトの雰囲気。僕も時々食べに行ったことがあります。その連想で、久しぶりに大学時代、池袋大学近くの要町での下宿生活を思い出しました。
  
●今日の感動を、文体模写で中原中也風に、いわゆるパロディで表現してみましょう。
        
私の上に降る言葉、空は高く高く 僕は見ていた
黒潮の浜辺にトンビが歌い おがくずの匂いがするよ
親父の背中が世界地図を生み
石を遠くへ投げろというが うまく行きません

センベイがトタンを食べ  熊野の海はまっぴらぴ
海の向こうにあるという セイレンの棲む海に溺れる
珊瑚の海底で泣く 石たちのga gi gu ge go
ポけっとに手をつっこみ 蝋燭片手に神倉山を見る
  
潮の流れよ  風が鳴って
電線がひねもす海で踊っています
さむうい ぬくうい 湯や保温
海は冷たい顔を持ち、魚は珊瑚とダンスかな
ベートベンとシューベルト 空が真っ赤に染まります
空に向かってぴーぴりでぃ 千の天使のキャッチボール

  幾時代かがありまして 青い戦争ありました
  夏の真昼の静かには 南洋兵士は孤独です
  夏の風は椰子の色に染まり マンゴーを食べています
  遠い昔のニューギニア 海行かば戦友は静かです
  今夜浜辺でひと酒盛 空に真っ赤な火の玉だ
  米軍機がワルツを踊り 生暖かいおならを吹き放っています
  
許された一日が終わった今
今日はほんまにお世話になりました
さようなら ほんとにお世話になりました
背中の地図にもさようなら


 充実したいい1日でした。由子さんに感謝、合掌。


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アホな兵庫県知事、「読めない」ぼんくら首相

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→アルゼンチンのメンドーサで。


「関東大震災が起きればチャンスだ」と、発言した井戸兵庫県知事のコメントには、ほんとうに腹が立った。神戸淡路大地震の時には、関東の行政・人々がずいぶん協力したと思うjけど、このおっさん、そんなことは全然覚えていないと見える。関東大震災勃発後には関西にもチャンスがあるということやろけども、大震災を期待してなんぼのもんじゃ。

サイトで調べてみると、このおっさん、兵庫県新宮町の出身やないかい。新宮といえば、俺は熊野の新宮市出身や。新宮の名前が穢れまっせ。わが郷土の新宮市長も胸を痛めていることでしょう(そうでもないか)。東大法学部出身、自治省にはいり、自治省官房審議官を経て兵庫県知事。

今日のテレビのニュースで、この発言に関しての釈明で「夢にも思わなかった」とのたまっていたけど、あほか! 確信犯やろ! こういうことをいつも思っていたことを暴露した。このレベルの人が兵庫県知事だとは、兵庫県民に同情します。はやくリコール運動を起こしてください。

いやはや、世の中、災害を利益にしようという人が多くて困るなあ。

僕が愛読しているブログ、江草乗さんの「江草乗のいいたい放題」を見てください。彼もかなり怒っています。
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=41506&pg=20081112

一方、あの麻生という首相の漢字の知らなさは、どういうことだい? 大学受験のときに、このぐらいの漢字の読み方は勉強するはずだけどね。ほんまに無学文盲の徒。麻生ぼんくら首相なら「むがくぶんもう」と読むかもね。

漢字の読み間違いは誰にもある。僕も若い頃、臨場感を「りんばかん」と読んで失笑を買ったことがある。しかし、言葉はそうやって覚えていくものだと思う。

首相がこんなに続いて間違うということは教養がないからだろう。誰も注意ができなかったのだ。そのまま首相になった。教養がないということは、政策にも政治手腕にも期待できないということだろう。僕は嫌いだが、あの中曽根前首相は、道元の「正法眼蔵」とパスカル著の「パンセ」を、いつも脇において拾い読みしているそうだ。「パンセ」はフランス語で読んだというから恐れ入る。麻生首相は古典を読んでいるのかね。

先ごろ、このおっさん、母校の学習院大学で行われた日中交流行事の挨拶で、「頻繁」を「はんざつ」と読んだそうな。ほかに「踏襲」を「ふしゅう」とかね。記者団に幹事力(もとい、漢字力)不足を突っ込まれた首相は「単なる読み違い」と突っぱねていたけど、読み違いではなく昔からそう読んでいたんやろ? 恐れ多くて今まで。誰も指摘しなかったというのが真実でしょうな。

これから国会議員になる人は、漢字検定2級を取得する、ということを法律で決めてもらいたい。最近、局アナの漢字力が落ちているので、局によっては、この2級を取っていることが義務付けられているらしい。麻生首相は3級か4級か。一度、この検定を受けて、自分の駄目さかげんを公表すると、受けるかもしれん。

他人が書いた原稿を読むから、こんなことになる。それに引き換え、オバマのスピーチのうまさ、素晴らしさ。彼は原稿を読まずに、自分の言葉で語る。だから観衆を感動させるのだ。

今後、首相が読み間違えそうな漢字を列挙してみよう。矢印の右側が、まちがい読み。

会得→かいとく、画策→がさく、言質→げんしつ、相殺→そうさつ、意図→いず,更迭→こうそう、施行→せこう、遵守→そんしゅ、類まれな→るいまれな、成就→せいじゅ、身を粉にして→みをこなにして、喧々囂々→かんかんがくがく、功徳→こうどく、工面→こうめん、脆弱→きじゃく、出納→しゅつのう、健気→けんき、所作→しょさく、顰蹙→かんしゃく・・・。

特に頭の7つの漢字あたりが、におうね(笑い)。こんな風にね。

「私の漢字力が顰蹙(かんしゃく)を買っているようだが、私、自慢じゃないがね、学生時代、漢字の会得(かいとく)は怠ったわけよ。意味さえ知らねえんだよ。なんせ高校時代の漢字のテストで、4文字熟語を完成する問題で、■肉■食というのが出たんだが、俺はすぐに大好きな肉を思い出して、間髪いれず、焼と定をいれたね。
正解は『弱肉強食』だってねぇ。国語の先生に、おまえはユーモアのセンスがあるって褒められたよ。吉田茂爺さんゆずりだもんな。『焼肉定食』。安くてうまいねえ。ホテルのバーよりもはるかに安い。で、今の政界で『弱肉強食』といえば、俺は弱のほうだろうな。強? 決まっているでしょ、あのサメの脳みそといわれたM元首相よ.

こないだ、テレビを見ておったら、お笑いの『ニュースペーパー』の諸君が、僕のことを『麻生とは大麻の麻に、生産地偽装の生です』と言っていたけど、うまいこというね、どっちも今の時代を象徴す言葉だ。大麻所持では慶応に早稲田、法政、同志社など10の大学の生徒がパクられているんだってね。産地偽装は北海道から九州までだからね。これは全国的なキーワードだよね。これからはこうやって自己紹介するか、ワハハ。

僕もこれぐらい日本語の扇、つまりセンスがあれば、バカにされないだけどね。まぁ、世界文学全集なんて持っているけど、本箱の奥でほこりを被っているさ。漫画だよ、マンガ。俺の教養の源は。俺の人生は、すべて漫画から学んだと言える。類(るい)稀な漫画の読み手よ。

例の定額給付金のことだけれど、意図(いず)は下々の(げげ)の者に、小判をばら撒くようなもんだ。これが悪いことかね? ジス・イズ・マイ・イズ・フォー・ゲゲ・ピープル、とか言っちゃって。金持ちがビンボー人に金を恵んであげる。いいでしょ、ビンボー人が潤って。これは私が金持ちの坊ちゃんだからこそ言えるわけです。私の言質(げんしつ)をとってだね、喧々囂々(かんかんがくがく)、ああでもないこうでもないと言っている。確かに金を工面(こうめん)するのは大変だけどさ。

私は今、ナンミョウ党と画策(がさく)して、身を粉(こな)にして頑張っとる。私に反対する大臣は、今に見ておれ。Y大臣、H大臣、更迭(こうそう)するぞ! さぁて、ホテルのバーで密談するか。ここにはうるせえ奴は来ねぇからな。

ここんとこ、変な輩(はい)から誹謗中傷(はいぼうなかしょう)を受けているから、東北のひなびた温泉でライラックスしてぇもんだ。秋田の乳頭温泉あたりがいいね、乳頭,,乳首は英語でTITと言うんだぜ。そういえばMITはマサチューセッツ工科大学のことだね。Massachusetts Institute of Technologyの略だね。日本の東京工業大学は英語で書くとね、Tokyo Institute of Techonology。略してTIT。笑っちゃうね。乳頭大学だぜ。

MITと同じボストンにあるハーバード大学の生協では、世界の有名大学のTシャツを売っているそうだ。MITのTシャツの胸には、野球のキャッチャーミットのマーク。分るね? MIT、ミットだからな。東京工業大学のこのTITのTシャツには、オッパイのイラストが描かれているそうだ。面白いね。今回の金融サミットでワシントンの帰りにさ、ボストンに飛んでこれを買い、無学な地元の選挙民に配りたいものだぜ。意味を説明すると、受けるだろうなぁ。

俺ねぇ、日本語はかなり危なっかしいけど、英語は吉田茂おじいちゃん仕込だからね。アメリカ人が知らないことまで、知っているんだぜ。見直したかい? ところで乳頭温泉、秋田の温泉郷で『キリタンポン』をつつきながら、うまい日本酒を飲みたいもんだぜ。そうそう学習院高等部のころさ、またもや国語の試験で温■知■を完成して4文字熟語を作れという試験があってさ、俺、温泉好きだろ? そこで温泉知識と書いたら受けたぜ。

まちがった、タンポンはマツモトキヨシで売っている商品だったな。キリタンポと言わなくちゃいけねぇ。つい、語呂がいいので「キリタンポン」と言ってしまうぜ。乳頭温泉ねえ、あそこの白濁した湯には力があるね。疲れが吹っ飛ぶぜ。

これから原稿にはルビを大きく書いてもらうよ。老眼だからね。安部首相の時代だったけ、KYという流行語があったね。『空気を読めない奴』のことだったね。さしずめ僕は『漢字が、読めない』からKY、なんて言っちゃって。

最後に言いたいのだけれど、例の田母神前空爆長の『日本は侵略国家ではない』という論文、よくぞ言ってくれたと思うね。実は、俺がいつも思っていたことをさ、あいつに言わせたんだ。俺にも狡猾(こうかい)な面があると思わない? 吉田のおじいちゃん仕込よ。アジアを植民地化していた西洋諸国を追っ払うために、日本が頑張った。正論です。ただ、発表したメディアが悪かった。これが問題。政治家、日本の偉い人は媒体を考えなくっちゃ。

あの田母神の論文が載ったのは、金沢の、かなり妖しげなホテル会社のPR誌でしょ? 森元首相の地元の会社で彼のスポンサー、安部さんも親しかったみたいだな。品のないオーナー夫人がテレビのCFに出演している会社だ。建築偽装で問題になった会社じゃなかったっけ。記者諸君、調べてみてよ。できレースよ。

私のように天下の文藝春秋に書かなくちゃ。本音を言うと、ある新聞社の私担当の記者が書いたのだけどね。記者がちょいと先走りすぎたね。経済クライシス、早く終わってほしいぜ。それにしても、給付金の話、選挙に勝つための戦略。これだけ反発があるとは正直思わなかったね。

俺の考えがぶれてるとよく言われるけど、いやあ、歩く姿勢も左右にぶれているんだよ。姿勢は政策の姿勢も表すってね。そんな格言、あったろ?」

日本の政界で未曾有(みぞうゆう)の孤独の政治家。いや、「誤読の政治家」か。脆弱(きじゃく)な内閣。

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筑紫さん追悼

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↑コロラド州デンバー郊外にあるレッドロックス円形野外劇場入り口。岩の奥に有名な劇場がある。

昨日、筑紫哲也さんが亡くなった。今から15年ぐらい前かな、もっと前か、僕は筑紫さんがTBSラジオでやっていた「筑紫哲也のニュースジョッキー」という番組に3回出たことがある。海外取材から戻ったときに、取材の裏話などを話した。

その番組のスタッフと仲良くなり、特に、筑紫さんのマネージャーのS女史とは親しくさせてもらい、筑紫さんのお宅でのパーティや大学での講演、茨城県への小旅行などにご一緒させてもらった。筑紫さんは飾り気のない、鋭いジャーナリストだった。しかし、晩年はやはり歳のせいか、論評の切れ味は悪くなっていたね。
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TBSの筑紫さんの番組スタッフの中に、S女史が可愛がっていたアルバイト女性がいた。S女史は「彼女に誰かいい人いないかな。豪雪の新潟出身なので、雪がないところがいいって言っているけど、ごうさんの故郷ピッタリだと思うんだ、南国だし」とS女史。

よっしゃ愚弟が独身なので上京した折に彼女を紹介したところ、これがとんとん拍子で話が進んだ。そして結婚。結婚式にはS女史も出席してくれた。今や彼女は21歳の息子、高校生の娘の母だ。シング弁もマスターし、地元に溶け込んでいる。

というわけで、僕が筑紫さんの番組に出演しなければ、弟の女房という線もなくなる。いやあ、人との出会いって面白いですね。

写真の劇場で、ビートルズ、ジミー・クリフ、サンタナ、スティング、マライア・キャリーらスーパースターが歌った。またここは僕にはパワースポットと感じた、岩のエネルギーが強い。その岩の上に、印象的な雲が出ていた。

筑紫さん追悼の文を書きながら、添付写真はこれしかないと思った。よく見ると、岩の形、筑紫さんの横顔に似ていません? 音楽が大好きだった筑紫さんを思い出しながら・・・


筑紫さん、安らかにお眠りください。合掌。

   「ジャーナル」に紫煙覆い山眠る

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アメリカの実情

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↑ルイジアナ州のホテルのバーで撮影。

オバマの圧勝で終わったアメリカの大統領選。オバマの演説に泣きながら聞き入る人々を見て、感動した。ブッシュの悪政は、アメリカに行くたびに聞いていたし、多くの人々が「変革」を望んでいたのだろう。オバマの登場に関して、ヨーロッパ諸国をはじめ多くの国が歓迎しているという。やはり「変革」があるというのは、新しいエネルギーが発生するので、世の中にはいいことだ。

その選挙結果が分かる日に書店で面白い本を見つけた。「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」(文藝春秋)がそれ。著者は、カリフォルニアのバークレーに住むコラムニストの町山智浩氏だ。

面白い内容を列挙してみよう。
*「アメリカが外国に戦争をしかけるのは地理の勉強をするためだ」というジョークがあるそうだ。
そのこころはパスポートを持っている国民はアメリカ人の2割のみ。8割の人は外国に関心がないということ。

↑だからアメリカ人には地理音痴が多い。アメリカは世界と接触していかなくても暮らしていける国だからだ。「大きな島国」なので世界を無視してもやっていけると、多くの人が思っている。他の国の文化とか言語に興味ある人は少ない、というのが僕の実感。

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↑祭りでもないのにカーニバルファッション。メンフィスで会った面白い連中だった。彼らはイラクの位置は知っているかな?

*ニューヨーク州の場所を、地図上で指し示すことができないアメリカ人は5割もいる。

*18歳から24歳のアメリカ人への調査で、世界地図を見せ、イラクとアフガニスタンの位置を質問してみたところ、イラクの場所を知らないもの63%、アフガニスタンの位置を知らない者は88%もいる。

↑そういえば、テレビのクイズ番組で、地理の問題が出た。地理上に質問された国名を書き込むという趣向。出演した、当時外務副大臣の某議員(自民党)も、イラクの位置を間違えて、僕は大笑いしたことがあったっけ。

*18歳から34歳のアメリカ人で新聞を読むものは3割にも満たない。CNNの視聴者の平均年齢は60代だ。
↑しかも読む新聞はローカル紙である。

*アメリカの成人の2割は、太陽が地球の周りを回っていると信じている。

*日本に原爆を投下した事実を知っているアメリカ人は、わずか49%にすぎない。
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本書では、ブッシュ政権を支えているのは、このアメリカ人の無知だという。アメリカ人は「無知こそ善」という思想、つまり反知性主義があると述べられている。

そのひとつがキリスト教福音主義。つまり聖書を一字一句信じてその通りに生きようとするキリスト教原理主義のことだ。自らを福音派とするアメリカ人は、全体の3割に及ぶそうだ。

彼らにとって、余計な知識は聖書への疑いを増すだけであり、より無知な者ほど聖書に純粋に身を捧げることができると信じられているからだ。

ブッシュを支えた共和党支持者。アメリカの実体を知るには格好の入門書である。詳細は本を買って読んでくれぃ。上記のデータの出典が書かれている。1000円の価値は十分にあると思うよ。

オバマが暗殺されないことを切に祈る。

追記:
1)今日(11月7日)、新宿で、コロラド州に住む写真家キヨさんと久しぶりに会った。彼曰く、アメリカ人のなかで、9.11の事件のことを知らない人、ブッシュの顔を知らない人がたくさんいるよとのことだった。コロラド州には、海を見たことがない人(子どもじゃなく)が結構いるそうだ。アメリカは広い。アメリカは大きな島国だ。

2)今日(11月8日)の報知新聞にこんな記事が載っていた。

米FOXテレビは6日、米大統領選で共和党の副大統領候補だったペイリン・アラスカ州知事(44)が、アフリカを大陸ではなく国名だと思っていたと伝えた。選挙戦で争点にもなった北米自由貿易協定(NAFTA)の加盟3か国(米国、カナダ、メキシコ)も知らなかったという。ペイリン氏は2012年の次期大統領選で、共和党候補の筆頭になるとの見方も出ているが、大丈夫だろうか?

 大統領選中はオフレコとされていたペイリン氏の“おバカ”発言が明らかにされた。

 FOXは、大統領選で敗れたマケイン上院議員の陣営関係者の話として「ペイリン氏は、アフリカが国ではなく大陸であることを理解していなかった」と報じた。

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初めての大学での講師体験

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↑明治大学和泉校舎301号教室にて

昨日、明治大学で2つの講義をしました。
明治大学がシニア世代に開講しているリバティアカデミー(受講者30名、駿河台校舎)と、和泉校舎での全学共通講座(受講者200名)の授業でした。

2つの講座のテーマは「生と死を考える」という、小生には全く似つかないもの(苦笑)。いろいろ考えた末、僕は、インドネシアのスラウェシ島の葬儀儀礼の話を中心として話をすることに決めました。

スラウェシ島のタナトラジャ県では「生きるより死ぬほうがお金がかかる」という土地柄で、葬儀は故人の、徳・冨・地位を表すものとしてとても重要です。葬儀を見るツアーもあり、タナトラジャ観光は特にフランス人に人気です。

人が死ぬと、トンコナンと呼ばれる伝統的舟形家屋にしばらく安置し、家族は死者と一緒に過ごします。昔の日本にもあった「喪がり」と同じですね。葬儀まで、遺体は「病人」と考えられ、葬儀の準備が始まって初めて遺体となる。そしてトンコナンの西側の部屋に移されて、南枕で寝かされます。北半球に住む我々の方位観とは全く逆ですね。
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↑伝統的な舟形家屋、トンコナン

寝棺は輿に載せられ、村の郊外のリアンという墓場に運ばれます。トラジャの墓は岩にあけられた穴で、そこに入れ風葬です。かれらの考えでは、死は生の対立物ではなく、生を意味づけるもの。物事の終わりではなく、むしろ始まりと考えているようだ。だから、結構あっけらかんとしていると、地元で聞いた。

かれらの方位観は北重視で、トンコナンの正面は北向きです。北は「生」「やる気」「頭」などのプラスイメージで、南は「死」「尾っぽ」などのマイナスイメージ。一方、東は太陽が昇るところでプラス、西は太陽が沈むtころでマイナスなんです。だから東北の方向が大吉となります。南西はその逆です。

葬儀は何日にも渡って行われ、水牛が生贄として供えられ、葬儀の場で山刀により一突きで殺されます。この水牛の多さで、故人の地位が証明されると言われています。1993年の大きな葬儀では120頭の水牛が供物となったそうです。その肉は参列者に配られます。

水牛1匹が8万円と言われますから、葬儀をやる家族は大変です。特に黒とピンク色が混じった水牛は珍重され、1頭200万円もするそうです。そういう特殊な水牛は、子どもの頃から目をつけて予約しておくそうです。ちなみに、タナトラジャでは水牛は農耕に使うのではなく、葬儀用だとのことでした。

ま、そんな話を中心に、バリ島、エトルリア(イタリアの古代国家)、グアテマラ、ネイティブアメリカンの死生観などを語りました。

また各国のスライドを見せながら異文化体験の必要性を話しました。

シニア世代の受講者は、平均年齢65歳。みんな知的レベルが高く、一生懸命、小生の漫談を聞いてくれました。一方、いまどきの学生は、しゃべっても反応する空気感がなかったですね。

でも授業が終わった後、教壇の僕のところに6名の学生が、これから行く海外旅行の旅の相談にやって来ました。ひとりはイタリア、もうひとりはインド、あとはタイとかエジプトに行くと行っていました。

この10年で20代の若者の海外渡航者数は30%も減っているという。つまり1996年の20代の若者の渡航者数は463万人、10年後の2006年は298万人と少なくなっている。パスポートを取得するのが面倒だと言う若者が増えているそうだ。バーチャルで体験したと錯覚している輩が多いのだろう。僕は学生に向けて、時間がいっぱいある学生時代に旅に出なくてどうするとハッパをかけたかった。少しは通じたかな。

1コマ90分の授業を2つ、同じ日にやったので疲労困憊。久しぶりに脳の芯が疲れましたです、はい。


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無礼なメール

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↑ニューオリンズのバーボンストリートにて

ここんとこ無礼なメールがよく来ます。

今朝、事務所に来ると、こんなメールが来ていました。
「ひとつ、質問ですが、●●さんとは、東京大学出身で以前福岡に住んでらっしゃったかたでしょうか?年齢は50代」。署名なし。どういう人が聞いてきたのかと不信感が募ります。

普通、初めての人に手紙(メール)を書くときには、○○様、初めまして・・・から自分を名乗り、用件を書くのが常識ですよね。上のメールは、名前も名乗らず、いきなりだれそれについて聞きたいと書き、自分の名前も書いていない。ムッとして、メールの礼儀をわきまえなさい、と返事を書きましたが、する必要なかったかなと思っています。こういう輩が多いんですわ、今日日。

後日談です。
その女性(でした。名前も書いていなかったので)から返事が来ました。僕が抗議したことなど全く応えていなくて、「ご返事ありがとうございました」という内容で、今回は住所と名前を書いていました。ホノルルに住む日本人女性でした。

僕は、そのメールを彼女が探しているコロンビアに住む僕の友人に転送しました。友人は彼女にメールをして、大盛り上がり。彼女は日本の家族にも連絡して、ハッピーハッピーとなったそうです。

僕は、最初この女性からメールをもらったときに、ひょいとするとその友人の元彼女かな、ストーカーの可能性があるなと危惧したぐらいです。二人は、何十年ぶりかにメールで話ができたのですが、その彼女からその後メールもない。俺がメールを転送しなければ、おまえら大喜びしなかったやろう、と思いました。まったくマナーを知らない。

以前、立命館大学の女学生からこんなメールが来ました。

「初めまして。トラベルライターを目指しております立命館大学○○学部4回生の●●と申します。
現在まで中国、韓国、インドネシア、タイ、カンボジア、シンガポール、マレーシア、オーストラリアを旅しました。
就職活動では接客業を中心に活動しましたが、本当に遣り甲斐が感じられるのは「自分で見た、聴いた、食べた」ことを情報化して発信する側に立てることだと考えました。
(中略)
どのような事でも責任を持ってやり遂げますので、●●(小生のこと)の下で働かさせて頂けないでしょうか。
突然のメールにて大変恐縮ではありますが、一度だけでもご連絡を頂けると幸いに存じます」

この女子大生は、ちゃんとしたメールでしたので、僕は、ギリシャ取材を明日に控えて、結構忙しかったんですが、自分の仕事、取材のことなど長い返事を書きました。「フリーで食べていくのは大変だから、1度就職して知識を蓄えてから、モノ書きを目指せば・・・」と述べました。

しかし返事はなし。返事があれば、それなりにこちらもアドバイスしたいと思っていたのですけどね。

いやはや、変な時代になったものです。


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スラウェシ島の原稿アップ

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風邪を引きながら、インドネシアのスラゥエシ島の原稿を昨日アップ。とりあえず、ホッ!です。

この写真は、スラウェシ島最大の町マカッサル(旧ウジュンパンダン)からトラジャに向かう途中、立ち寄った峠の茶屋の写真です。「ウエルカム・ツー・エロチック・マウンティン」。この看板がすごいでしょ? この店で一服し、ついでにトイレに行くドライバーが多く、けっこう流行っていました。

この茶屋から眺めたところに、エッチな山があるんです。それがエロチック・マウンティン。いつも訪問してくれる皆さんのためにちょこっと、お見せしましょう。
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日本には陰陽石とか陰陽の滝とかがありますけど、ま、あれと同じようなもんです。その山肌版ですね。

風邪はすこしづつ回復に向かっています。

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風邪気味です

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ここんとこ風邪気味で、咳が止まりません。ということでイマイチ精神も集中できません。ま、毎年恒例の体の浄化というか、毒素を出し、自分の体について考えるいい機会と捉えることにしています。

そろそろインドネシアのスラゥエシ島のトラジャ族の原稿の締め切りが迫っています。明日、一気に書こうっと。それと、大学での初めての講義が迫っているので、そのレジメの作成もしなくちゃいけない。本日は何もしなくて、週末に集中することにしよう。

  稜線に向かい浄土の地へ、ひとり

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デューク更家さん

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昨夜、同郷人のデューク更家さんを取材するチャンスがあった。彼はウォーキングドクターとして、今や飛ぶ鳥を落とす勢い。全国に教室が300、弟子が700人、教えた生徒はのべ4万人という。明日、モナコに帰るという前夜の、慌しい夜、インタビューの時間を割いてくれた。謝謝感謝♪

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さすが熊野人らしく、いつもテンションが高く、声もでかい。カリスマのオーラが出ていた。レッスン場には若いのからそうでない女性70名が集まり、華やかなムード。更家さんの吉本風トークにみんな大笑い。ほんまに話術がうまかった。1時間のレッスンのうち、40分がストレッチング。これは見ていて相当きつそうだった。ウォーキングは後半の20分で行われた。更家氏の歩き方は、やはり惚れ惚れするものだった。

話をすると彼の家は、僕の実家から自転車で7分のところで、彼は僕の家を知っていた。しばし故郷の言葉でしゃべくった楽しい夜だった。


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