メルハバ♪

↑ボスボラス海峡を望む元王宮だった「チュラーン・パレスホテル・ケンビンスキー」から撮影。
「メルハバ」とはトルコ語で「こんにちは」の意味。縁あってトルコの仕事をするようになりそうです。昨日からトルコ語を学習し始めました。トルコ語は日本語と同じウラルアルタイ語族で、日本語と全く同じ語順です。文法的には、日本語の発想と全く同じというのは楽だわねえ。
ぼくは今まで100カ国回りましたが、トルコほどの親日国は知りません。6回訪問しましたが、いい国で、好きな国のひとつです。トルコ人が日本を好きな理由はいろいろとあると思います。
ひとつは、トルコ共和国建国の父であるケマル・アタチュルクが近代化の手本として日本を参考にしたこと。2番目に、ロシアの南下政策でトルコはいつもナーバスになっていたが、極東の小国が日露戦争でロシアをやっつけたという歴史的事実があります。トルコの首都アンカラには、時の東郷元帥の名前を付けた「トーゴー」という高級靴店があるそうです。
3番目には明治時代に、明治天皇に謁見にきたトルコの海軍船「エルトゥールル号」が横浜港から神戸に向かう途中、我が故郷の串本沖で座礁、沈没。そのとき、大島の島民は献身的に、660名の乗組員のうち69名を救助する。島人は生存者に献身的な介抱をし、衣類や食事を与えたという。その美談はトルコの小学校の教科書にも載り、トルコで連綿と語り継がれてきたと、聞いたことがあります。
そのとき日本では義捐金などがあつまり、山田寅次郎という人が、代表でトルコに渡り義捐金を渡したそうだ。その彼の伝記である「明治の快男児トルコへ跳ぶ」(現代書館)が先日発行されました。
トルコ人には親切を受けると、必ず恩返しするという国民性があります。今度は日本がトルコに助けられることになりました。時は1985年3月、イラク・イラク戦争のとき。イランには215人の在留邦人がいました。イラクは3月19日20時以降、領空を飛ぶ飛行機は撃ち落すと言明。日本やアメリカの航空会社は国際航空法上、救助飛行を拒否したそうです。
そのとき果敢にも飛行機を提供したのがイランの隣国トルコでした。日本人を乗せた2機のトルコ航空機がイラン上空を飛び去ったのはタイムリミット3時間前だった。
エルトゥールル号が遭難した大島には慰霊碑とトルコ記念館があり、トルコから駐日大使が着任すると必ず大島を訪ね献花するという。現在、トルコから水中考古学の専門家が大島に来て、潜水し遺品を収集しています。串本町とトルコは今も草の根の民間外交が続いているのであります。
日本とトルコのこんな関係を、和歌山県観光大使として、もっと皆さんに知ってほしいと思います。






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