トルコで一番有名な日本人

↑イスタンブール、ガラタ橋の下にあるシーフードレストランで。
関西で発行されているシニア世代向けのビジュアル誌「大人組」の5月号に書いた、トルコの話を転載します。この雑誌の僕のコラムタイトルは「深旅遠望」といい、もう4年間旅の「うんちく話」を載せています。こんな日本人もいたということ、僕の故郷熊野とトルコにはこんな深い国際交流があったことを知ってもらいたい。
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「トルコで一番有名な日本人」
トルコは僕の好きな国のひとつ。先ごろ出版された「明治の快男児トルコへ跳ぶ」(現代書館)を読んで、トルコがなぜ親日国なのかがよくわかった。日本とトルコとの交流のために一肌脱いだ山田寅次郎の熱い物語である。
明治23年、トルコの軍艦エルトゥールル号は明治天皇に謁見し帰途についた。だが日本は台風シーズン。エル号は熊野灘の串本沖で台風に遭い沈没。そのときに大島の人たちは村を挙げて懸命に救助活動をしたが、乗務員609名のうち助けられたのはわずか69人だった。この話は、現在でも多くのトルコ人が知っている。詳細は僕の
このブログの、いつだったかな(笑い)に書いていますので、見てね。
ほいで、山田寅次郎(群馬県出身)だ。24歳の寅次郎は沈没事件に強いショックを受けた。トルコから皇帝の親書を持って我が国に11ヵ月もかけてきたのに、660名もが遭難死したということはあまりに痛ましすぎると、彼は新聞各社に働きかけ、遭難した家族に送る義捐金を集める運動を始めた。
その結果、現在のお金で3000万円相当のお金が集まり、寅次郎は事件の2年後に義捐金を持ってトルコへと向かった。この事件をもってトルコと日本の交流が始まり、来年は120周記念の年となる。
寅次郎は以来約20年間トルコに滞在、イスタンブールの日本商店のマネージャーとなり、日本・トルコ交流の先駆者となった。トルコを訪れる華族や政治家の通訳を務めた。トルコ建国の父ケマル・アタチュルクに日本語を教えたという。トルコで最も有名な日本人だ。
また、寅次郎は日露戦争時、ボスボラス海峡を通過するロシアの軍艦を偵察し日本大使館に伝えた。日本が大国ロシアに勝利できた裏には、寅次郎の「目」の活躍があったといえるだろう。
寅次郎は慰霊碑の建立にも力を注いだ。日本にトルコ大使が赴任すると、串本大島の慰霊碑に花を捧げるのが恒例となっている。今年、大島にはトルコのダイバーが来て、エル号の遺品の採集を行った。大きな料理用鍋など3500点の遺品を収拾した。この4月1日から来年1月末まで、串本の海中公園水族館で展示している。
トルコの地中海沿岸の町メルスィンと串本は姉妹都市。町には「クシモト」という名の通りがあるそうだ。今度確認に行きたい♪


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